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カキの歴史と物語|学名kakiの由来と日本・ベトナムの柿

カキの歴史と物語の表紙
柿の軌跡。学名「kaki」が結ぶ世界と人々の物語。

カキ(柿)の学名は Diospyros kaki。 後半の「kaki」は日本語の「かき」から取られています。ヨーロッパや南米でも、カキは日本語に近い名前で呼ばれてきました。

この記事では、中国で長く栽培されてきたカキが日本でも広まり、甘柿が見つかり、品種が名づけられ、世界へ知られていった歩みをたどります。その流れは、ベトナム・ダラットの干し柿にもつながっています。

学名Diospyros kakiの語源と世界への広がりを示す模式図
学名に残る「kaki」という名前。Diospyrosは「神の果実」、kakiは日本語の「かき」に由来します。

カキ三部作: 選び方・食べ方・保存を調べる / 種類・栄養・産地を知る

目次

カキの歴史年表|伝来・甘柿・命名・世界へ

年 できごと
古くから 中国で栽培され、多くの品種が生まれる
奈良時代(710〜784年) 日本で一般に食べられるようになる
1214年 川崎の王禅寺の山中で甘柿「禅寺丸」が見つかったとされる
1775〜76年 ツンベルクが日本に滞在。のちに学名 Diospyros kaki が与えられる
1780年 ツンベルクによる学名の初出(Kewの記録)
1800年代以降 カキがヨーロッパや南米へ広まる
1898年 岐阜県で福嶌才治が「富有」と命名する
1994年 長崎の被爆柿の木から二世の苗が育てられる
1996年 「時の蘇生・柿の木プロジェクト」の第1号が植樹される
2012年 ダラットで日本式の干し柿づくりの指導が始まる。バオラムの種なし柿が地理的表示を受ける

各年の背景と出典は、以下の本文で説明します。言い伝えを含む年は、本文で「〜とされる」と区別しています。

柿の栽培、甘柿の伝承、命名、現代の加工文化の4つの時代
カキが歩んだ4つの時代。中国での栽培と日本での普及、禅寺丸の伝承、ツンベルクの命名、ベトナムでの特産品化。

中国での栽培と、東アジアへの広がり

カキの栽培の歴史を、中国からたどってみましょう。California Rare Fruit Growersの資料は、カキを中国原産とし、中国では何百年にもわたって栽培され、2,000を超える品種があると紹介しています。その後、カキは朝鮮半島や日本へ伝わり、それぞれの土地でも新しい品種が生まれました。出典:California Rare Fruit Growers(2026年9月28日確認)。

ただし、Kewの植物データベースはベトナムなども自然分布域に含めています。中国での栽培の歴史と自然分布の範囲は区別し、ベトナムの柿がすべて中国から持ち込まれたとは断定しません。

日本で食べられるようになったカキ|奈良時代から

農林水産省がGoogle Arts & Cultureで公開している特集によると、日本では弥生時代の遺跡からもカキの出土例があります。ただし、一般に食べられるようになったのは奈良時代(710〜784年)とされています。出典:農林水産省「Persimmon: The Fruit of the Gods」。

いつ、どの経路で日本に伝わったかは、資料によって説明が分かれます。この記事では伝来の年を断定せず、同特集の説明に沿って日本での食文化をたどります。

当時のカキは、渋を抜いたり干したりして食べる渋柿が中心だったと考えられます。この状況を変えたのが、次の章の「甘柿」です。

自然分布と伝来の区別: Kewはベトナムなどを自然分布域に、日本と朝鮮半島を導入域に挙げています。栽培が広まった経路と、野生の分布域を同じ地図として扱わないようにしましょう。

カキの自然分布域と導入域の違い
自然分布と伝来を区別します。Kewは日本と朝鮮半島を導入域に挙げています。

1214年、甘柿の発見|禅寺丸柿の言い伝え

神奈川県川崎市麻生区の王禅寺には、甘柿「禅寺丸柿」の発見をめぐる伝承があります。川崎市教育委員会は、1214年に王禅寺の山中で見つかったという話を紹介しています。発見の年は、史実として確定した年ではなく伝承として受け止めましょう。

同市によると、1648年ごろには江戸への出荷が始まりました。栽培だけでなく、都市へ届ける流通も地域を支えていました。2007年には、禅寺丸柿の木が国の登録記念物になりました。出典:川崎市教育委員会「禅寺丸柿」

地域の人々による保存や植樹の活動にも、柿と暮らしの長い結びつきが残っています。

禅寺丸柿の発見の伝承と江戸への出荷の歴史
禅寺丸柿の伝承と、その後の歩み。1648年ごろに江戸への出荷が始まり、2007年に国の登録記念物になりました。

学名に残った「kaki」|ツンベルクと世界への広がり

1775〜76年、スウェーデンの植物学者カール・ペーテル・ツンベルクが日本に滞在しました。農林水産省の特集によると、カキに学名 Diospyros kaki を与えたのはツンベルクです。Diospyros(ディオスピロス)は「神の果実」を意味するとされ、特集はツンベルクが寺社の境内でよくカキを見かけたことと結びつけて紹介しています。

命名の記録は、KewのPlants of the World Onlineで確認できます。同データベースは Diospyros kaki Thunb. を受容名とし、初出を1780年としています。この記録では、ツンベルクによる命名として整理されています。

同じ特集は、1800年代以降、カキがヨーロッパや南米へ渡り、日本語の名前を保ったまま広まったと伝えています。中国での長い栽培史に加え、名前には日本との結びつきも残りました。学名の「kaki」は、柿と日本語の結びつきを今に伝えています。出典:農林水産省「Persimmon: The Fruit of the Gods」。

ツンベルクの日本滞在と1780年の学名記録
植物学者ツンベルクと「神の果実」の命名。Kewの記録では、受容名 Diospyros kaki Thunb.、初出は1780年です。

同じ特集では、正岡子規が1895年に詠んだ句も紹介されています。

柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺

カキは、日本の秋の風景を表す果物としても親しまれてきました。

正岡子規の句「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」
日本の秋の風景としてのカキ。正岡子規「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」(1895年)。

富有柿の誕生|ばらばらの名前をひとつにした人

現在、甘柿の代表として知られる「富有(ふゆう)」。その誕生の経緯は、岐阜県農政部の資料に詳しく記されています。

1820年ごろ、美濃国大野郡居倉村(現在の岐阜県瑞穂市居倉)で、小倉ノブという女性が御所柿を家の近くに植えました。この柿は、いつしか神社または地名にちなんで「居倉御所」と呼ばれるようになります。

同じ村に生まれた福嶌才治(ふくしま さいじ)は、1884年に小倉家の柿の枝で接ぎ木を試みました。1887年からは柿の栽培の研究を始め、1892年の品評会で1等に選ばれています。

当時、この柿と同じ特性を持つとみられる柿は、「居倉御所」「水御所」「ゴネリ御所」など、各地で違う名前で呼ばれていました。1898年、才治は名前を統一しようと考え、「福寿」と「富有」の2案を知人の小学校長に相談します。校長が勧めたのは、古典『礼記』の一節「富有四海」から取った「富有」でした。

才治は「富有」と名づけて同年の品評会に出品し、1等に選ばれました。翌1899年には岐阜県の奨励品種となり、1904年には初めて天皇家に献上されています。出典:岐阜県農政部農産園芸課「富有柿の由来」(2026年10月3日に原本照合)。

同資料は、名前を決める際の相談相手について別説も注記しています。それでも、よい柿を見つけて植えた人、接ぎ木で増やした人、ばらばらの名前をひとつにまとめた人がいて、富有という品種が広く知られるようになったことが分かります。

福嶌才治による1898年の富有柿の命名
ばらばらの名前から「富有」へ。福嶌才治は1898年に『礼記』の「富有四海」から命名し、1904年には天皇家に献上されました。

被爆柿の木から世界へ|時の蘇生・柿の木プロジェクト

20世紀のカキの物語には、平和を伝える木も登場します。

長崎市若草町に、爆心地から約900mの場所で被爆した、樹齢約150年とされる柿の木がありました。1994年、樹木医の海老沼正幸さんがこの弱った木を治療し、そこから二世の苗を育てることに成功しました。

1995年、美術家の宮島達男さんがこの活動を知り、苗木を育てる里親を募る「時の蘇生・柿の木プロジェクト」を構想します。1996年に第1号の植樹が行われ、苗木は国内だけでなく海外にも渡りました。公式サイトのQ&Aでは、植樹先を23か国・250か所以上と紹介しています。出典:時の蘇生・柿の木プロジェクト、同Q&A(2026年9月28日確認)。

植樹の数はQ&Aの掲載値であり、最新の累計を示すとは限りません。

日本で育った柿の苗が、世界の子どもたちのもとへ届けられている。カキの旅は、このような形でも続いています。

長崎の被爆柿の木から育てられた二世苗の歩み
被爆柿の木から世界へ。爆心地から約900mで被爆した柿の木を1994年に樹木医が治療し、二世の苗は1996年から各地に植えられています(植樹数は公式Q&A掲載時点)。

ベトナムのカキの物語|献上柿の伝承とダラットの干し柿

ベトナムにも、カキをめぐる物語があります。

北部のフート省ハックチには、昔は王への献上品だったと語り継がれる柿があります。種がないため、根を切って増やしてきた古い品種です。Vietnamnetは2019年、当時、省内に残る樹齢25年以上の木は249本だったと伝えています。出典:Vietnamnet(2019年10月13日掲載、2026年9月28日確認)。

ランソン省バオラムの種なし柿は、2012年11月14日にベトナムの地理的表示を受けました。ベトナム知的財産庁は登録第00032号として紹介しています。出典:ベトナム知的財産庁。

ハックチの献上柿の伝承とバオラムの種なし柿
ベトナムに息づく伝統的なカキ。フート省ハックチの柿(2019年時点で樹齢25年以上の木は249本)と、2012年に地理的表示を受けたランソン省バオラムの種なし柿。

中部高原のダラットでは、日本とのつながりから新しい物語が生まれました。ベトナム共産党機関紙Nhân Dânによると、以前はダラットの畑の柿は1kg約2,000ドンで取引されていました。2012年、日本の干し柿の生産者とJICA(国際協力機構)の専門家が、炭を使わず日光と風だけで干し柿を作る方法を、100戸以上の農家に指導します。出典:Nhân Dân(2024年3月31日掲載、2026年9月28日確認)。

こうして作られる干し柿「hồng treo gió(風に吊るす柿)」は、ダラットの特産品になりました。同紙は、柿づくりが再び注目されるようになったと伝えています。2024年のCông Thương紙は、干し柿の価格を1kgあたり25万〜40万ドンと紹介しています。出典:Công Thương紙(2024年10月17日掲載、2026年9月28日確認)。

生の柿と干し柿は重さも手間も違うため、価格をそのまま比べることはできません。それでも、日本で育まれた加工の技術が、ダラットの柿に新しい価値を加えたことは読み取れます。

ダラットで生柿の加工から干し柿の特産品化へ進んだ経緯
ダラットにおける干し柿の変革。2012年からの技術指導で干し柿「hồng treo gió」が特産品に。干し柿の25万〜40万ドン/kgは2024年の記事掲載値です。生柿と干し柿では重さ・手間・取引条件が違うため、単純な値上がり率は計算できません。

東アジアで長く親しまれ、日本で加工の技術も育まれてきたカキが、ベトナムの高原で新しい特産品になる。ベトナムの市場に並ぶ干し柿にも、そんな旅の続きがあります。

まとめ|カキの歴史を支えた人たち

カキの歴史は、ひとつの国の中だけで完結していません。中国で長く栽培され、日本でも甘柿や品種が育ち、日本語の名前とともに世界へ知られ、ベトナムでも新しい物語が続いています。

その歩みを支えたのは、いろいろな役割の人たちでした。

  • 山の中で甘い柿を見つけ、地域に広めた人たち
  • 日本の植物を世界に紹介した植物学者
  • よい柿を植え、接ぎ木で増やし、名前をひとつにまとめた人たち
  • 被爆した木を治療し、苗を世界へ届けた人たち
  • 干し柿の技術を伝え、それを受け継いだベトナムの農家
柿の歴史を支えた発見・命名・普及・治療・加工の担い手
カキの旅を支えた「人々のリレー」。甘柿を広めた人、学名を記録した植物学者、名前をまとめた人、被爆した木を治療した人、技術を受け継いだダラットの農家。

秋にベトナムの市場で「quả hồng」や干し柿を見かけたら、その背景にある長い旅を少し思い出してみてください。見慣れた一つの柿にも、違った表情が見えてきそうです。

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参考資料

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この記事を書いた人

ベトナム・ハノイ在住。現地の市場やスーパーで実際に果物を購入し、味・旬・選び方・食べ方を紹介しています。日本ではあまり知られていない南国フルーツの魅力を、現地での体験をもとに分かりやすくお伝えします。

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