
モモは食べる果物として親しまれる一方、「魔を払う木」としても語られてきました。 中国の古い伝説では、大きな桃の木に鬼を捕らえる二人の神がいました。日本の『古事記』では、桃の実が追っ手を退け、神の名を与えられます。ベトナム北部のテト(旧正月)に桃の枝を飾る習慣にも、魔よけにまつわる由来譚があります。
この記事では、中国・日本・ベトナムに残る桃の伝説と、日本の白桃の品種づくりの歩みをたどります。

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モモの歴史年表|中国・日本・ベトナム

| 年 | できごと |
|---|---|
| 少なくとも約7,500年前 | 長江下流域で栽培化が始まっていたとする研究がある |
| 後漢の時代 | 『論衡』が引く『山海経』に、度朔山の大きな桃の木と神荼・鬱塁の伝説が記される |
| 西暦135〜230年ごろ | 纒向遺跡の出土核のうち、測定した12個から推定された年代の範囲 |
| 5世紀初めごろ | 陶淵明が『桃花源記』を書く(「桃源郷」の由来) |
| 712年 | 『古事記』成立。イザナキが桃の実で追っ手を退ける話が載る |
| 江戸時代 | 草双紙の桃太郎は、桃を食べた老夫婦が若返る「回春型」が主流 |
| 1875年 | 岡山県に中国から「天津水蜜桃」「上海水蜜桃」が導入される |
| 1882年 | 岡山の山内善男が袋かけ栽培を考案する |
| 1899年 | 岡山の大久保重五郎が「白桃」を見つける |
| 1932年 | 岡山で「清水白桃」が見つかる |
| 1990年代初め | ベトナム・バクハーにフランス系の交配種のモモが導入される |
各年の背景と出典は、以下の本文で説明します。伝説や言い伝えは、本文で「〜とされる」と区別しています。
故郷は中国|栽培化の研究と「桃源郷」の物語

ベトナムのモモ図鑑|種類・旬・産地・栄養の違いで紹介したように、モモの原産地は中国です。2014年の研究では、浙江省の遺跡から出土したモモの核(硬い内果皮)を調べ、少なくとも約7,500年前には長江の下流域で栽培化が始まっていたと考えられると報告しています。出典:Zheng, Crawford, Chen(2014)PLOS ONE(2026年9月29日確認)。
中国の人々にとって、桃は特別な木でした。そのことがよく分かる言葉が「桃源郷(とうげんきょう)」です。
もとになったのは、詩人・陶淵明(とう えんめい)の『桃花源記(とうかげんき)』です。晋の時代、武陵の漁師が川をさかのぼるうち、岸の両側に桃の花だけが咲く林に行き当たります。林の奥の洞窟を抜けると、外の世の争いを知らずに暮らす人々の村がありました。漁師は村を出たあと、もう一度そこへ行こうとしますが、二度とたどり着けませんでした。出典:維基文庫「桃花源記」(2026年9月29日確認)。
俗世から離れた理想の地を「桃源郷」と呼ぶのは、この物語から来ています。理想の村の入り口に置かれたのが、ほかのどの木でもなく桃の林だったことに、桃が特別な木とされていたことがうかがえます。
鬼を払う木|度朔山の桃と二人の神

桃が特別だった理由のひとつは、鬼を払う力があると信じられていたことです。
國學院大學の古典文化学事業の解説によると、後漢の書物『論衡(ろんこう)』が引く『山海経(せんがいきょう)』に、こんな伝説があります。度朔山(どさくさん)という山に、とても大きな桃の木が生えていました。その北東の枝の間には、たくさんの鬼が出入りする「鬼門」がありました。そこに神荼(しんと)・鬱塁(うつりつ)という二人の神がいて、人に害をなす鬼を葦の綱で捕らえ、虎に食べさせていたといいます。
伝説では、黄帝がこれにならって、桃の木で作った像を立て、家の門に神荼・鬱塁と虎を描き、葦の綱をかけて鬼を防いだとされています。出典:國學院大學 古典文化学事業「意富加牟豆美命」(2026年10月16日確認)。
同じ解説は、桃が鬼を払う力をもつという考えが、『礼記』『春秋左氏伝』などの古典にも見られると述べています。この「桃の木」と「門を守る二人の神」の組み合わせを覚えておいてください。あとで、ベトナムの章にもう一度登場します。
日本へ|纒向遺跡の約2,800個の核と『古事記』の桃の神

桃は、早くから日本にも伝わっていました。
奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡では、2009年の発掘で、大きな建物の跡のそばの穴から約2,800個のモモの核が見つかりました。核は種子そのものではなく、その外側の硬い内果皮です。名古屋大学などのグループが、そのうち12個を放射性炭素年代測定で調べたところ、一般的な暦年換算法で、西暦135年から230年の範囲に相当すると報告されています。出典:名古屋大学「奈良県纒向遺跡出土のモモの種の高精度14C年代測定と邪馬台国の所在地論争」(2018年6月15日、2026年9月29日確認)。纒向遺跡は、邪馬台国の候補地のひとつとして知られています。この年代測定だけで、核が集められた目的まで分かるわけではありません。
8世紀の初めにまとめられた『古事記』にも、桃は重要な場面で登場します。
亡くなった妻イザナミを追って黄泉の国へ行ったイザナキは、変わり果てた妻の姿を見て逃げ出します。追っ手に迫られたイザナキは、黄泉比良坂(よもつひらさか)のふもとで桃の実を3つ取って投げつけ、追っ手を退けました。イザナキは桃に「私を助けたように、この国の人々が苦しんでいるときにも助けよ」と命じ、意富加牟豆美命(オオカムヅミノミコト)という名を与えました。
國學院大學の解説によると、この名前は「鬼を払う力をもつ大いなる神霊」の意味とする説があります。また、桃が鬼を払うという考え方は、中国から伝わった信仰の影響とされています。出典:國學院大學 古典文化学事業「意富加牟豆美命」(2026年10月16日確認)。
中国の度朔山の伝説と同じように、ここでも桃は「悪いものを追い払う木」として描かれています。
桃太郎には「若返り」の話もあった

日本で桃の物語といえば、何といっても「桃太郎」でしょう。川を流れてきた大きな桃から男の子が生まれ、鬼退治に行く。今では誰もが知るこの筋書きですが、実は昔からこうだったわけではありません。
東京都立図書館の解説によると、桃太郎の誕生には2つの型があります。
- 回春型(かいしゅんがた):流れてきた桃を拾って帰って食べると、おじいさんとおばあさんが若返り、桃太郎が生まれる
- 果生型(かせいがた):桃から直接、桃太郎が生まれる
江戸時代の草双紙のうち、赤本から黄表紙の時期の作品は回春型でした。その後、両方を合わせた型が現れ、明治以降は果生型が一般的になりました。出典:東京都立図書館「双六にあらわれた桃太郎」(2026年9月29日確認)。
「食べると若返る桃」と「鬼を退治する子ども」。桃太郎の物語には、桃にこめられた「命の力」と「魔を払う力」の両方が顔を出しています。
1875年、中国から来た水蜜桃|虫と闘った袋かけ

ここまでは、主に信仰や物語に登場する桃を見てきました。モモは明治以前にも食用にされていました。日本で現在につながる大きく甘い桃の品種づくりが進んだのは、明治時代以降です。
岡山県の「桃・ぶどう150年の歴史」によると、1875年(明治8年)、岡山県の勧業試験場に、中国から「天津水蜜桃」「上海水蜜桃」が導入されました。これが、岡山の桃づくりの始まりとされています。
ところが、水蜜桃の栽培は、モモゴマダラノメイガなどの害虫との闘いでもありました。そこで1882年(明治15年)、山内善男(やまうち よしお)が、実を一つずつ袋で包む「袋かけ栽培」を考え出します。この工夫によって、透き通るように白く、なめらかな口あたりの岡山らしい桃が育つようになったと紹介されています。出典:岡山県「くだもの王国おかやま 桃・ぶどう150年の歴史」(2026年9月29日確認)。
袋かけは病害虫や傷から実を守り、果皮の着色を抑える工夫です。品種としての「白桃」の白い果肉とは、区別して考えましょう。

1899年、実生から見つかった「白桃」

そして1899年(明治32年)、日本の桃の歴史を変える品種が見つかります。
岡山市によると、1867年生まれの大久保重五郎(おおくぼ じゅうごろう)は、青年時代に果樹園芸を学び、上海桃の実生(みしょう、種から育てた木)から「白水桃(白桃)」を見つけました。重五郎はその後も品種づくりを続け、1927年には「大久保」という桃も生み出しています。出典:岡山市「大久保重五郎翁顕彰碑」(2026年9月29日確認)。
農林水産省は、白桃を「日本のももの元祖」とされる品種と紹介しています。その後、白鳳、あかつき、川中島白桃など、日本を代表する品種が次々に登場しました。出典:農林水産省 aff 2019年5・6月号(2026年9月29日確認)。岡山では1932年、西岡仲一(にしおか なかいち)が「桃の女王」とも呼ばれる「清水白桃」を見つけています。出典:岡山県「くだもの王国おかやま 桃・ぶどう150年の歴史」(2026年9月29日確認)。
古くから食用にも信仰にも関わってきたモモは、明治以降の品種選抜や栽培の工夫によって、日本の白桃の多様な品種へとつながっていきました。
ベトナムのモモの物語|テトの桃の枝と、高地のフランス系交配種

最後に、ベトナムへ目を向けてみましょう。
ベトナム北部では、テトが近づくと、ピンクの花をつけた桃の枝や鉢植えが街にあふれます。なぜテトに桃を飾るのか。その由来として語られるのが、「桃の花の由来(Sự tích hoa đào)」という昔話です。
Báo Cao Bằng紙が紹介する話では、昔、ソックソン山の東に大きな古い桃の木があり、そこに「Trà(チャー)」と「Uất Lũy(ウアット ルイ)」という二人の神が住んでいました。鬼たちは二人の神を恐れ、桃の枝を見ただけで逃げ出すほどでした。ところが年の暮れになると、二人の神は天に昇って玉皇上帝にあいさつしなければなりません。その間に鬼が暴れないよう、人々は桃の枝を折って家に飾るか、赤い紙に二人の神の姿を描いて門に貼るようになりました。これが毎年テトに桃の枝を飾る習わしになったといわれています。南部では、桃の代わりに黄色い花の「mai(マイ)」が好まれます。出典:Báo Cao Bằng「Sự tích, ý nghĩa cành đào ngày Tết cổ truyền Việt Nam」(2015年2月13日掲載、2026年9月29日確認)。
ここで、中国の度朔山の伝説を思い出してください。大きな桃の木に二人の神が住み、鬼を退ける。人々はその神の姿を門に描く。中国とベトナムの由来譚には、桃の木と二人の神、魔よけという共通のモチーフが見られます。ただし、この共通点だけで具体的な伝来経路や神名の表記まで断定することはできません。

今のハノイで、テトの桃の名所として知られるのがニャッタン(Nhật Tân)です。VietnamPlusは、ニャッタンの桃には花びらが最大24枚になるものがあり、鉢で仕立てた「đào thế」などが育てられていると紹介しています。出典:VietnamPlus(2020年1月25日掲載、2026年9月29日確認)。
一方、ベトナムには果物としてのモモの栽培もあります。1990年代の品種導入はその一例であり、ベトナムで食用のモモが栽培され始めた時期を示すものではありません。モモ図鑑で紹介したように、北部の高地ラオカイ省バクハーでは、1990年代の初めに国連食糧農業機関(FAO)の事業を通じてフランス系の交配種が導入され、シャキッとした歯ごたえの桃が5月ごろに実るようになりました。出典:Tuổi Trẻ紙(2015年5月11日掲載、2026年9月29日確認)。

まとめ|モモの歴史を支えた人たち

モモの歴史は、ひとつの国の中だけで完結していません。中国の魔よけの伝説、日本の『古事記』や桃太郎、ベトナムのテトの由来譚には、桃に特別な力を見いだす物語が残っています。一方、明治以降の日本では、中国から導入された水蜜桃をもとに品種づくりが進みました。
その歩みを支えたのは、いろいろな役割の人たちでした。
- 長江のほとりで、モモの選抜や栽培に関わったと考えられる人々
- 桃の木と二人の神の伝説を語り継ぎ、門に神の姿を描いた人々
- 害虫から実を守るため、一つずつ袋をかけることを考えた人
- 中国から来た桃の実生の中から、白い桃を見つけた人
- テトのために桃を育てるニャッタンの人々と、ベトナムの高地で新しい桃を育てる人たち
テトの前にハノイの街で桃の枝を見かけたら、その後ろに立っている二人の神のことを、少し思い出してみてください。
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参考資料
- Zheng, Crawford, Chen「Archaeological Evidence for Peach (Prunus persica) Cultivation and Domestication in China」PLOS ONE(2014年):長江下流域での栽培化。
- 維基文庫「桃花源記」:陶淵明『桃花源記』本文。
- 國學院大學 古典文化学事業「意富加牟豆美命」:『古事記』の桃の神、度朔山の伝説、桃が鬼を払う信仰。
- 名古屋大学「奈良県纒向遺跡出土のモモの種の高精度14C年代測定と邪馬台国の所在地論争」:纒向遺跡のモモの種の年代。
- 東京都立図書館「双六にあらわれた桃太郎」:桃太郎の回春型と果生型。
- 岡山県「くだもの王国おかやま 桃・ぶどう150年の歴史」:水蜜桃の導入、袋かけ、白桃・清水白桃。
- 岡山市「大久保重五郎翁顕彰碑」:白桃の発見。
- 農林水産省 aff 2019年5・6月号「ももの歴史と主な品種」:日本の桃の歴史と品種。
- Báo Cao Bằng「Sự tích, ý nghĩa cành đào ngày Tết cổ truyền Việt Nam」:テトの桃の枝の由来譚。
- VietnamPlus「Những điều thú vị về hoa đào Nhật Tân của người Hà Nội」:ニャッタンの桃。
- Tuổi Trẻ紙「Mê mẩn mùa đào chín Bắc Hà」:バクハーのフランス系交配種。