キウイの原産地は中国です。 1904年に種がニュージーランドへ持ち込まれ、栽培や輸出が発展しました。「キウイフルーツ」という名前が採用されたのは1959年です。ニュージーランドの鳥キーウィを思わせる姿と、輸出先で受け入れられる名前を求めた事情が、その背景にありました。
この記事では、キウイの名前の由来とニュージーランドへの伝来、ヘイワードの育成、ゼスプリの誕生、サンゴールドの品種開発をたどります。ベトナムのスーパーで見かける一粒の背後にも、種を運び、育て、届けてきた人たちの歴史があります。

キウイの歴史年表|伝来・改名・品種開発
| 年 | できごと |
|---|---|
| 1904年以前 | 中国を原産地とし、現地に複数の呼び名がある果実だった |
| 1904年 | 中国からニュージーランドへ種が持ち帰られる |
| 1910年 | アリソンのもとで最初の結実が記録される |
| 1952年 | キウイ20箱が英国へ送られる |
| 1959年 | 輸出販売の名称として「kiwifruit」が採用される |
| 1988年 | 輸出販売をまとめる仕組みへ移行する |
| 1997年 | ゼスプリ・インターナショナルが設立される |
| 2010年 | ニュージーランドでPsaが確認される |
各年の背景と出典は以下の本文で説明します。中国でのキウイ栽培が1904年に始まったという意味ではありません。
1904年以前の中国|キウイの故郷と現地の呼び名
キウイの物語は、ニュージーランドへ種が渡った1904年より前から始まっています。ニュージーランド政府の百科事典Te Araは、キウイの植物を中国原産と説明しています。また、中国では「猿桃」「つる梨」などに当たる複数の俗称で呼ばれてきたと紹介しています。
現在世界で使われる「kiwifruit」という名前は、1959年にニュージーランドの輸出販売で採用された名称です。したがって、1904年はキウイそのものの発見年や、中国での歴史の始まりではありません。中国にあった植物の種がニュージーランドへ渡り、そこから新しい栽培・品種選抜・輸出の歴史が始まった年として位置づけるのが正確です。出典:Te Ara「The hairy berry」、「Early history, names and varieties」(2026年9月21日確認)。
キウイの原産地は中国|1904年にニュージーランドへ
1904年、ニュージーランドのワンガヌイ女学校長メアリー・イザベル・フレイザーは、中国からキウイの種を持ち帰りました。中国を訪ねた旅でのことです。
持ち帰られた種を育てたのは、珍しい植物に関心を持つ地元の農家、アレクサンダー・アリソンでした。ニュージーランドの百科事典Te Araは、この種の導入を同国のキウイ栽培史の始まりとして紹介しています。出典:Te Ara
1910年には、アリソンのもとで最初の結実が記録されます。旅先から運ばれた小さな種が、海の向こうの土地で実をつけたのです。出典:NZ History
この出来事だけで、すぐに輸出産業が生まれたわけではありません。種を持ち帰った人がいて、育てる人がいて、その果実に興味を持つ人が少しずつ増えていきました。
ヘイワードの育成と1952年の英国向け輸出
当時のニュージーランドで、この果物は「チャイニーズグーズベリー」と呼ばれていました。1920年代には苗木を扱う業者が現れ、庭や地元の市場で親しまれるようになります。
そのなかで、園芸家ヘイワード・ライトが選び育てた系統が注目されました。大きく、味がよく、保存にも向く果実です。1956年には、彼にちなんで「ヘイワード」という品種名が付けられました。緑色のキウイの代表として知られる品種に、育てた人の名前が残っています。出典:Te Ara
保存に向く性質は、遠くへ売るうえでも強みになります。ゼスプリの歴史資料によると、1952年には生産者ジム・マクローリンのキウイ20箱が英国へ送られました。果実はよい状態で届き、翌シーズンの注文につながったとされています。出典:ゼスプリ公式の産業史
庭で楽しむ珍しい果物から、海を渡って届けられる商品へ。ここで、キウイの旅は大きく広がり始めます。

キウイの名前の由来|1959年に改名した理由
海外へ売り出す際には、名前も課題になりました。
米国への輸出を進めた1950年代は冷戦の時代でした。NZ Historyによれば、「チャイニーズグーズベリー」という名称は販売上の障害になり、代案の「メロネット」も、メロンやベリー類に高い輸入関税がかかっていたため、米国の輸入業者には好まれなかったとされています。
1959年6月、輸出会社ターナーズ・アンド・グロワーズのジャック・ターナーが提案したのが「kiwifruit」です。この呼び名が業界に広がり、現在の名前につながりました。出典:NZ History
茶色く毛のある果実の姿は、ニュージーランドの鳥キーウィを思わせます。ただ、改名の背景には見た目の連想だけでなく、輸出先で覚えてもらえる名前を求める販売上の事情もありました。出典:ゼスプリ公式の産業史
1952年の英国向け輸出は改名より前の出来事です。1959年の改名は、初めて輸出を許可されたことを意味するものではありません。
原産地は変わりません。それでも、新しい名前は果物の印象を変えました。中国から渡ってきた果実が、ニュージーランドとの結びつきを強めながら世界に知られていったのです。

ゼスプリの歴史|生産者の協力から1997年の設立へ
輸出が広がっても、生産者の経営が安定するとは限りませんでした。ゼスプリの歴史資料では、1987年にニュージーランドのキウイ生産者の91%が赤字だったとされています。海外との競争に加え、国内の生産者同士の価格競争も収益を圧迫していました。
1988年、生産者の投票を経て、輸出販売をまとめる「シングルデスク」と呼ばれる仕組みへ移行します。ニュージーランド・キウイフルーツ・マーケティング・ボードが設立され、品質基準の整備や市場開拓、研究開発を共同で進める土台ができました。
1997年にはゼスプリ・インターナショナルが設立されます。現在よく知られる名前の背景には、生産者が協力して販売を支える仕組みづくりがありました。出典:ゼスプリ公式の産業史
おいしい実を育てることに加えて、品質をそろえ、遠くの人にも知ってもらうこと。その両方が、世界へ届けるために必要だったのです。

サンゴールドが広まるまで|Psaと品種開発の歴史
やがて、緑色のキウイに黄色い果肉の仲間が加わります。そのひとつが「Hort16A」。ゼスプリ・ゴールドとして販売された品種です。出典:Te Ara
ところが2010年11月、ニュージーランドでキウイのかいよう病を引き起こす細菌Psaが確認されました。とくにHort16Aは大きな被害を受けます。出典:Science Learning Hub

このとき、当時の研究機関Plant & Food Researchとゼスプリが進めていた育種計画のなかに、「Gold3」と呼ばれる新しい品種がありました。資料上の品種名は「Zesy002」。サンゴールドは、その果実の商品名です。
Gold3は、病気の発生後に一から作られた品種ではありません。 Psaが確認された時点ですでに商業化の初期段階にあり、その後の調査で、Psaによる被害に耐える性質が確認されました。研究者たちは多数の候補を調べ、栽培や味の条件も踏まえて、この品種への移行を支えました。出典:Plant & Food Research
危機に対応するための手がかりは、それ以前から積み重ねられていた研究のなかにあったのです。
ここでいう耐性は、まったく感染しないという意味ではありません。品種を替えれば病気が消えるわけでもありません。農園での衛生管理や病害への対応も続けられました。サンゴールドの広がりには、新しい味の開発と、果樹を守るための取り組みが重なっています。出典:Science Learning Hub

中国で争われたGold3の植物品種権
Gold3の歴史は、その後、中国での訴訟にもつながります。ゼスプリは2023年、中国での同品種の無断栽培・販売をめぐり、植物品種権(PVR)の侵害として提訴しました。
同社の2025年10月22日の発表によれば、武漢市中級人民法院は主要な被告による権利侵害を認め、260ヘクタール分の侵害植物材料の撤去と、約524.62万元(人民元)の賠償・費用の支払いを命じました。出典:ゼスプリの発表
この争いの対象は、育成された特定品種「Gold3」の植物品種権です。中国がキウイの原産地であることと、特定品種に権利が設定されることは、分けて考える必要があります。

代理人側の公表資料は、この判決を一審判決としています。また、ゼスプリの「2025/26 Five-Year Outlook」には、被告が上訴したとの記載があります。2026年10月5日時点で、本稿では上訴審の終局判断を確認できていないため、確認できた一審の判断として紹介します。出典:Rouseの公表資料、ゼスプリの見通し資料

種を運び、育て、選び続けてきた歴史の先に、研究への投資や品種の利用をめぐる問題が現れました。ひとつの果物が世界で栽培されるようになると、その背景にある仕組みも複雑になっていきます。
ニュージーランドからベトナムの売り場へ
その長い道のりは、ベトナムのスーパーにもつながっています。
2026年9月12日のロッテモール内ロッテマートの店頭写真記録には、ニュージーランド産表示のグリーンとゴールドのキウイがありました。kg売りに加え、熟したゴールドの4個入りパックも並んでいました。
出典:筆者撮影。価格・品ぞろえは2026年9月12日の撮影時点の情報です。

売り場で見るのは、色の違いや産地の表示、袋やパックの形かもしれません。その背後には、種を持ち帰った人、よい実を選んだ人、輸出を始めた人、病害に向き合った人たちの仕事があります。
中国に起源を持ち、ニュージーランドで栽培と販売が発展し、ベトナムの食卓にも届く。目の前のキウイは、そんな旅の途中にある果物として見ることもできます。
まとめ|キウイの歴史を支えた人たち
キウイの歴史は1904年に始まったのではなく、中国を原産地とする植物がニュージーランドへ渡ったことで、新しい段階に入りました。その後の歴史を動かしたのも、ひとりの発見や一度の改名だけではありません。
持ち帰られた種を育てる人がいて、保存に向く実を選ぶ人がいました。海外へ売り出す名前を考える人、生産者をつなぐ人、病気に備えて研究を続ける人もいました。

小さな種から始まった栽培は、そうした仕事の積み重ねで、世界へ届く果物へと育ちました。ベトナムの売り場でキウイを手に取るとき、その背景を少し思い出すと、見慣れた一粒にも違った表情が見えてきそうです。
キウイをもっと知る関連記事
- 種類・味・栄養の違い:キウイ図鑑|種類・味・栄養とグリーン・ゴールドの違い
- 食べ頃・切り方・保存方法:ベトナムのキウイの食べ方|食べ頃・切り方・追熟と保存方法

参考資料
Web資料は2026年9月17日・19日の確認記録を引き継ぎ、v14で追加した中国での背景資料を2026年9月21日に確認しました。企業の沿革や訴訟の説明は、当該企業・関係者の発表として記述しています。
- Te Ara「The hairy berry」:中国原産であることと植物の特徴。
- Te Ara「Early history, names and varieties」:中国での俗称、種の渡来、初期栽培、ヘイワード、Hort16A。
- NZ History「Chinese gooseberry becomes kiwifruit」:1910年の結実、1959年の改名と輸出上の背景。
- ゼスプリ「Our history」:初期輸出、生産者の経営危機、1988年の制度転換、1997年の企業設立。
- Science Learning Hub「Kiwifruit – learning to live with Psa」:2010年のPsa確認と病害対策。
- Plant & Food Research「New Zealand Prime Minister recognises science that saved kiwifruit」:Gold3はPsa確認時に商業化の初期段階にあり、その後耐性を確認したという時系列。
- ゼスプリ「Zespri successful in protecting IP rights in China」:2025年10月22日の訴訟発表。
- Rouse「Lusheng Law Firm wins Landmark Intellectual Property Case in China Protecting New Zealand Kiwifruit Grower Zespri」:一審判決であることを示す代理人側の資料。
- ゼスプリ「2025/26 Five-Year Outlook」:当該判決に対する被告の上訴の記載。
- 筆者の店頭写真・価格産地読取記録。価格・品ぞろえは2026年9月12日の撮影時点の情報。
