ブドウの長い歴史には、土器に残ったワインの痕跡も、旅人が伝えた栽培の知識も、土地に息づく伝説もある。ベトナムの店先で見かける一房にも、そうした果物の旅を重ねてみることができる。
ただし、「約8,000年前にワインが造られていた」ことと、「ブドウの栽培が約8,000年前に始まった」ことは同じではない。考古学が示す証拠、遺伝学からの推定、語り継がれた伝説を分けながら、古代のコーカサスから日本、そしてベトナムへと歩みをたどろう。


約8,000年前のワイン:ジョージアの土器が語ること
2017年、ジョージアの新石器時代の遺跡から出土した土器を分析した研究が発表された。研究チームが見いだしたのは、酒石酸など、ブドウのワインに関わる化学的な痕跡だった。年代は紀元前6000~5800年ごろ。今から約8,000年前にあたる。
この研究は、古代の人々がブドウを発酵させ、飲み物として利用していたことを知る重要な手掛かりである。ただし、残された最古級の証拠が、最初にワインを造った瞬間そのものを示すわけではない。McGovernらの研究(2017年、PNAS)
土器は、当時の人々の言葉を残してはいない。それでも、その内側に残った成分から、ブドウを集め、発酵させ、蓄える暮らしの一端が見えてくる。ブドウの物語は、実を「食べる」だけでなく、「醸す」という営みとも深く結びついている。

栽培化はいつ?遺伝学が描くもう一つの時間軸
2023年に『Science』へ発表された大規模なゲノム研究は、西アジアとコーカサスで約1万1,000年前に並行して栽培化が進んだという推定を示した。コーカサスの一か所だけですべてが始まった、という単純な説明ではない。Dongらの研究(2023年)
考古学は、残された土器や種などから過去を探る。一方、遺伝学は、現在まで受け継がれたDNAの違いから来歴を推定する。両者は異なる方法で歴史を照らしており、栽培化の推定年代をそのままワイン醸造の開始年とすることはできない。

シルクロードを越え、中国へ
ブドウの東への広がりを語るとき、よく登場するのが前漢の使節・張騫である。紀元前2世紀に西域へ派遣された彼は、長い旅を経て、西方の国々の様子を漢へ伝えた。
張騫の西域訪問や、その後の交流は、ヨーロッパブドウ系の栽培ブドウが中国の中原へ伝わった歴史と結びつけて紹介されている。武帝の時代に西域のブドウがもたらされ、宮殿の周囲で栽培されたという話も残る。中国新聞社掲載の伝来史の紹介
ただし、それ以前の中国にブドウ属の植物がなかったわけではない。野生ブドウの利用と、西方からの栽培品種の導入は区別する必要がある。一人の旅がすべてを始めたというより、人や物が行き交う道を通じて、品種や栽培の知識も広がったと考える方が、その歩みを捉えやすい。

甲州ぶどうに残る二つの起源伝説
日本の在来品種「甲州」には、異なる二つの起源伝説が伝わっている。
行基と、ブドウを手にした薬師如来
一つは、奈良時代の718年にさかのぼる行基の伝説である。行基が修行していたとき、ブドウを手にした薬師如来が現れたことをきっかけに、栽培を伝えたとされる。勝沼の大善寺にゆかりのある物語だ。
雨宮勘解由が見つけた蔓草
もう一つは、1186年に雨宮勘解由が見慣れない蔓草を見つけ、持ち帰って育てたという伝説である。宗教的な出会いから始まる行基説とは違い、こちらは身近な植物の発見を出発点にしている。
これらは甲州ぶどうと土地の結びつきを語る伝承であり、日本への伝来年や栽培開始年を確定する記録として扱うものではない。甲州市「甲州ぶどうの歴史」

DNAが明かした甲州の来歴
甲州の由来には、科学からの手掛かりも加わった。酒類総合研究所によるDNA解析では、甲州はヨーロッパブドウに由来する部分が大きく、中国の野生ブドウに由来する部分も含むことが示された。
同研究所は、祖先のヨーロッパブドウが中国で野生種と交雑し、さらに交配を経て日本へ伝わったと考えられると説明している。酒類総合研究所の研究紹介
この結果は、甲州が長い移動と交雑の歴史を持つことを考える手掛かりになる。ただし、行基や雨宮勘解由の伝説を科学的に証明したわけではない。伝説が土地の人々の記憶を伝える一方で、DNAは植物の来歴を別の角度から示している。

ヨーロッパのブドウ畑を襲ったフィロキセラ
19世紀後半、ヨーロッパのブドウ栽培は大きな危機を迎えた。原因の一つが、北米由来の小さな害虫、フィロキセラ(ブドウネアブラムシ)だった。
ブドウの根に被害を与えるこの虫が広がり、多くの畑が打撃を受けた。フランスの研究機関INRAEは、ゲノム解析によって、ヨーロッパへ侵入したフィロキセラの来歴を調べている。INRAEの研究紹介

対策として広がったのが、耐性を持つアメリカ系のブドウを台木にし、その上へヨーロッパの品種を接ぐ方法である。果実を実らせる枝と、地中で支える根が、異なる来歴を持つようになった。INRAEの台木の解説

害虫が渡ってきた大陸のブドウが、被害を抑える手掛かりにもなった。ブドウの国境を越える旅には、恵みだけでなく、病害虫と向き合ってきた歴史も刻まれている。
ベトナムへ:ニンチュアンで育つ新しい章
ベトナムでは、ニンチュアン地域がブドウの産地として知られている。旧ニンチュアン省は2025年の行政再編でカインホア省へ統合されたが、産地を語る際には今もニンチュアンという名前が使われる。行政再編の情報
2013年の現地報道には、フランス統治時代に試験的にブドウが導入されたという説明がある。同じ記事は、農園が品種の適応を確かめながら栽培し、ワイン造りや農園見学にも取り組んでいる様子を伝えている。ニンチュアンの農園取材
ただし、「100年前に始まった」と現在からの年数を固定したり、昔話が見つからないことを理由に「歴史が浅いから伝説がない」と結論づけたりすることはできない。確認できる導入の話と、今の産地の姿をつなぐだけでも、十分に興味深い。

さらに、品種は現代にも国境を越えている。日本で育成されたシャインマスカットの種苗が海外へ流出し、中国や韓国で栽培・流通が拡大した問題は、その一例だ。ただし、日本生まれの品種と日本産の果実は同じ意味ではなく、海外産というだけで模造品と呼ぶことも適切ではない。農林水産省の報告

一房の向こうにある、いくつもの歴史
土器に残ったワインの痕跡、シルクロードを通じた交流、甲州の伝説、そして畑を守る接ぎ木の技術。ブドウには、一つの始まりから一直線に進んだとは言い切れない、いくつもの歴史が重なっている。
ニンチュアンで育つブドウも、その長い物語の一場面だ。次にベトナムで一房を手に取るときは、味だけでなく、産地や品種の名前にも目を向けてみたい。

