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リンゴの歴史と物語

リンゴの歴史と物語の表紙。赤いリンゴと、禁断の果実からベトナムの贈答文化までをたどる副題

なぜ、禁断の果実はリンゴなのか。

聖書の創世記には、アダムとイブが口にした果実の種類は記されていない。それでも、西洋の絵画や子ども向けの絵本では、あの果実がしばしばリンゴの姿で描かれている。ラテン語の「リンゴ」と「悪」をめぐる語呂合わせ説など、その背景には言葉の歴史が関わっているらしい。

中央アジアに起源を持つリンゴは、各地へ広がるなかで、神話や暮らしにさまざまな意味を与えられてきた。禁断の果実からジョニー・アップルシード、日本の「ふじ」、そしてベトナムの贈答文化へ。その足跡をたどっていく。

ギリシャ神話には、女神たちが奪い合う黄金の「林檎」や、ヘスペリデスの園の果実が登場する。堕落も、争いも、永遠の命も、人間が果物に託した意味がリンゴの姿で語られてきた。

エデンの禁断の果実がリンゴとして描かれてきた絵画を並べた図
創世記が記すのは「木の実」であり、果物の種類は特定されていない。アダムとイブの物語、ギリシャ神話の争い、不老の果実——異なる文化の物語が、のちにリンゴの姿で描かれてきた。

なぜ、リンゴばかりが選ばれるのか。

その手がかりの一つが、「リンゴ」と「果実」をめぐる言葉の歴史である。まずは、リンゴの主要な祖先が育つ中央アジアの山へ戻ってみよう。

旅の先にはベトナムがある。西洋の物語で象徴となったリンゴは、ここでは「táo tây」や「bôm」と呼ばれ、日々の食卓や贈答用のかごに並ぶ。同じ果物が、土地ごとに異なる役割を得ていく。

リンゴの起源と伝播、名前と神話、そして現代の暮らしをつなぐ物語をたどっていこう。

目次

天山山脈の森から ― 栽培リンゴの主要な祖先の故郷

リンゴの故郷は、中央アジアの山だ。

現在私たちが食べているセイヨウリンゴ(Malus domestica)の主要な祖先は、中央アジアの天山山脈周辺に自生する野生種、Malus sieversii だとされている。その分布はカザフスタンを中心に、キルギスや中国・新疆などを含む広い地域に及ぶ。カザフスタン最大の都市アルマトイの名は、現地の言葉で「リンゴの多い場所」を意味するとされる。地名そのものが、この地域とリンゴの深い結び付きを伝えている。

この野生のリンゴを主要な祖先とする果実は、人の移動や交易路に沿って西へ運ばれていった。旅の途中で複数の近縁種と交雑し、特にヨーロッパに自生していた Malus sylvestris との交雑が、今日のセイヨウリンゴの成立に大きく影響したと考えられている。栽培化が進むにつれて、果実はより大きく、果肉はより硬く、甘みは強く、酸味は弱い方向へと選抜されていった。人が長い時間をかけて、山の酸っぱい実を、私たちの知るあの味に作り替えていったのだ。

その歩みは驚くほど古い。人がリンゴを利用してきた歴史は、先史時代にまでさかのぼる。パイナップルがヨーロッパ人に「発見」される、はるか前の話である。

リンゴの起源と伝播 内容
主要な祖先の分布 中央アジア・天山山脈周辺の Malus sieversii
西への広がり 人の移動と交易に伴ってヨーロッパ方面へ伝播
近縁種との交雑 Malus sylvestris なども栽培リンゴの成立に寄与
現在の品種 交雑と選抜を重ねて成立したセイヨウリンゴ

出典:リンゴの起源に関する研究レビュー。単一路線の地図ではなく、伝播と交雑の関係を整理しています。

種をまいても、同じリンゴは実らない

リンゴには、栽培の歴史を大きく左右した性質がある。種をまいても、親と同じリンゴは実らないのだ。種から育てた子が親と違うこと自体は、有性生殖をする多くの果樹や作物に共通する。ただしリンゴは自家不和合性が強く、遺伝的な多様性も大きいため、品種を種で再現することが特に難しい。

この自家不和合性は、S遺伝子座と呼ばれる領域に多数の対立遺伝子が存在する「配偶体型自家不和合性」という仕組みによる。花粉側のS型が雌しべ側のいずれかのS型と一致すると、花粉管の伸長が阻害される。そのため、多くの品種は自家受粉では結実しにくい。果樹園では受粉樹が必要になるが、単に別の品種であればよいわけではない。開花期が重なり、S遺伝子型が適合し、健全な花粉を作れる品種を選ばなければならない。

その結果、種の中では別々の親の遺伝子が混ざり合うことになる。ふじの実から採った種をまいても、生えてくるのは「ふじ」と同じ品種ではない。遺伝的に異なる、名前のない実生である。

では、世界中の果樹園に並ぶ「ふじ」は、どうやって増えたのか。答えは接ぎ木だ。リンゴの栽培品種は種子ではなく、枝を切り取って別の木の根に接ぐという栄養繁殖で増やされる。こうして増やした木は、原則として母樹と同じ遺伝型を受け継ぐ。ただし遺伝型が同じでも、台木や気候、土壌、栽培のしかたによって、樹勢や果実の品質は変わってくる。苗木は、根にあたる「台木」と、品種そのものである「穂木」から成っている。「ふじ」という品種を再現するには、一般に接ぎ木で増やした苗木を使う。

古代ローマには、複数の栽培品種や接ぎ木についての記録が残っている。品種を名指しで書き分けられるということは、その時代にはもう、同じ実を再現する術が使われていたということでもある。接ぎ木は、選ばれた品種を受け継ぐために、古くから使われてきた技術なのである。

リンゴが種でなく接ぎ木で増やされる理由を示す図解
リンゴの品種は種子では再現できない。特定の品種は、穂木を台木に接ぐ栄養繁殖によって受け継がれてきた。

リンゴの語源|古いヨーロッパの「果実」という言葉

ここで、名前の話をしなければならない。

ラテン語では、mālum が「リンゴ」、mălum が「悪」を意味し、母音の長短で区別される。通常の表記では長短記号を省くため、どちらも malum と綴られる。一方、pōmum は木になる果実を広く指した。古代ギリシャ語の mēlon にも、「リンゴ」だけでなく果実を広く指す用法がある。

つまり、ヨーロッパの古い言葉では、「リンゴ」と「木になる果実」の境界が、現代の語感より曖昧な場合があった。

この汎用性が、リンゴを表す名前をあちこちに貼り付けていくことになる。フランス語の pomme は、かつて果実一般を広く指す語でもあった。ジャガイモを pomme de terre——文字どおり「大地のリンゴ(果実)」——と呼ぶのは、その名残である。そして英語の pineapple は、もともと「松ぼっくり」を指す言葉だった。ヨーロッパ人が新大陸で似た形の熱帯果実に出会ったとき、その名前が転用されたのである。

パイナップルは、リンゴの名を含む古い言葉を借りて世界に出ていった果物だった。リンゴの側は、自分の名前を貸すほどに「果物の代表」だったのである。そして、名前がこれほど広い意味を持っていたからこそ、あらゆる物語がリンゴの姿を借りることになる。

ラテン語・ギリシャ語で「リンゴ」が果実全般を指した経緯を示す図
古いヨーロッパの言語では、リンゴを表す語が「木になる実」を広く指す場合があった。

禁断の果実はなぜリンゴ?黄金の林檎との関係

楽園でアダムとイブが口にした果実は、リンゴだった——多くの人がそう思っている。だが、聖書の創世記には、その果実が何であったかは一言も書かれていない。あるのは「善悪の知識の木の果実」という表現だけである。

ではなぜ、リンゴになったのか。いちばん有名なのは、ラテン語の語呂合わせによるという説である。標準ラテン語訳聖書(ヴルガータ)で創世記2章17節の該当箇所は「de ligno autem scientiae boni et mali」——「善と悪の知識の木」——と記される。この「悪(mali)」が、リンゴ(mālum)とほとんど同じ綴りだった。取り違えたのか、二重の意味を意図的に読み取ったのか。そこからリンゴになったのだ、という説明である。

ただし、これは定説ではない。近年の研究では、中世ラテン語の注釈文献に、この語呂合わせを裏づける証拠がほとんど見当たらないことが指摘されている。別の有力な説では、古フランス語の pom が「果実一般」から「リンゴ」へと意味を狭めていった過程が原因だとされる。少なくとも、言葉の意味の変化が図像の成立に影響した可能性は、考えるべき手がかりになる。

なお、禁断の果実をリンゴとして描く美術作品は、『失楽園』(1667年)より前にも存在する。ミルトンの作品だけを図像の起源とする説明は適切ではない。

ちなみに、禁断の果実の候補としては、イチジク、ブドウ、ザクロ、マルメロ、コムギ、バナナなど、実に多くの果物が挙げられてきた。そのなかでリンゴが勝ち残った背景には、味でも見た目でもなく、言葉のありようが関わっていたらしい——というのが、ここまでの話である。

禁断の果実がリンゴとされた2つの言語学的仮説を示す図
創世記は果実の種類を特定していない。リンゴの図像が定着した経緯には、複数の説がある。

ギリシャ神話でも、リンゴは重要な役どころを演じている。ただし、古代ギリシャ語の mēlon もまた、リンゴだけでなく木になる果実を広く指し得る語だった。以下で「黄金の林檎」と呼ぶものも、原語では「黄金の果実」というほどの意味だと考えたほうがよい。ペーレウスとテティスの結婚の祝宴に招かれなかった争いの女神エリスは、腹いせに一つの黄金の果実——一般に「黄金の林檎」と訳される——を投げ込んだ。そこには「最も美しい女神に」と記されていた。ヘーラー、アテーナー、アプロディーテーがこれを奪い合い、審判を託されたトロイアの王子パリスが下した裁定が、やがてトロイア戦争を引き起こす。世界の西の果てにあるとされたヘスペリデスの園にも黄金の林檎が実り、竜ラドンが番をしていた。その木は、ヘーラーとゼウスの結婚に際してガイアから贈られたものとされ、実は神々の不死や永遠の若さと結び付けて解釈されてきた。

ここで、冒頭の問いに戻りたい。なぜ、リンゴばかりが選ばれるのか。

ここまでの話を並べると、一つの見取り図が浮かんでくる。リンゴが選ばれたのは、特別に神聖だったからでも、特別に美味だったからでもなさそうだ。ヨーロッパの古い言葉で「果実」と言えば、それはリンゴを含む広い呼び名だった。物語に登場する「果実」が、後世の言葉や美術の中でリンゴとして受け止められた可能性がある。ただし、聖書とギリシャ神話それぞれの図像の成立を、同じ原因だけで説明することはできない。

もっとも、これはあくまで一つの読み方である。語源や図像の由来には、まだ議論の余地が残されている。それでも、リンゴが背負わされてきた意味の重さが、果実そのものより言葉に由来しているらしいという点は、この果物を考えるうえで面白い手がかりになる。

ジョニー・アップルシード|苗木商とリンゴ酒の歴史

時代を下って、19世紀のアメリカ。リンゴの歴史には、教科書にも童話にも登場する一人の男がいる。ジョン・チャップマン、通称ジョニー・アップルシード(1774〜1845年)である。

伝説の中の彼は、リンゴの種を携えて荒野を裸足で歩き、行く先々に種をまいて回る聖人めいた放浪者である。スウェーデンボルグ派の熱心な信奉者だったことも、よく語られる。

ただし史実のジョン・チャップマンは、気ままに種をまいて歩いた人物というより、職業的な苗木商だった。開拓の先回りをして土地を開き、苗畑を作り、育てた苗木を入植者に売り、あるいは譲った。種まきは慈善だけではなく、苗木事業の一環でもあったのである。

その苗木が実らせるリンゴについても、補足がいる。前の章で見たとおり、種から育ったリンゴは親と同じにはならない。実生の多くは親品種とは違う実をつけ、そのまま食べておいしい生食用の品種になるものはごく少ない。多くは酸味や渋みが強い実である。

しかし、それらの実にも立派な使い道があった。ハードサイダー、つまりリンゴの発酵酒である。搾って発酵させてしまえば、生食に向かない実であることは何の問題にもならない。しかもサイダーは、生の果実より日持ちし、現金にも換えやすく、開拓地の日常的な飲み物としての需要もあった。

つまり、彼がアメリカの開拓地に広げたのは、多くが「食べるリンゴ」ではなく「飲むリンゴ」だったのである。接ぎ木によって同じ実を再現し続けてきたリンゴの歴史の中で、彼の苗畑は、種から育った無数の別々のリンゴでできていた。

ジョニー・アップルシードの伝説と史実を対比した図
ジョン・チャップマンは開拓地の先回りをして苗畑を作り、苗木や果樹園を入植者に提供した。実生リンゴの多くは、生食よりサイダーに利用された。

日本のリンゴ史|青森への導入と「ふじ」の誕生

リンゴは東へも旅をしていた。

日本には、遅くとも鎌倉時代以降、中国原産の「ワリンゴ」が入っており、これが「リンゴ」と呼ばれていた。「林檎」という漢字については、「檎」が「木」と「禽(鳥)」から成ることから、実が甘いので林に鳥が集まってくるのだ、と説明されることがある。ただしこれは字を分解した民間語源で、「禽」は音を示す要素と考えるのが一般的である。日本語の「りんご」という音も、中国の呼び名「林檎(りんちん)」が、りんきん、りんき、りうごうなどを経て転じたものだという説がある。

今日のリンゴにつながるセイヨウリンゴが導入されたのは、明治4年(1871年)のことである。そして明治8年(1875年)の春、内務省勧業寮から青森県に3本の苗木が配られ、県庁の構内に植えられた。これが青森りんごの始まりとされている。

その3本から始まった土地で、64年後に一つの交配が行われる。1939年(昭和14年)、青森県南津軽郡藤崎町の農林省園芸試験場東北支場で、「国光」を種子親、「デリシャス」を花粉親として掛け合わせが行われた。生まれた実生の中から選ばれた一本は、1951年に初めて結実し、1958年に「リンゴ東北7号」として公表された。1962年(昭和37年)3月に「ふじ」と命名され、同年4月21日に「りんご農林1号」として農林認定品種に登録される(現在の種苗法に基づく品種登録とは別である)。1982年(昭和57年)にはデリシャス系を抜いて日本の生産量1位となった。現在では、世界で最も多く栽培されている品種と推定されている。

ここで、接ぎ木の話が効いてくる。世界中の果樹園に実る「ふじ」は、品種改良の結果として各地で独自に生まれたものではない。基本的には、1939年に藤崎町で生まれたあの一本から切り取られた枝の、そのまた枝をたどっていける(のちに枝変わりから選ばれた系統も数多くある)。中央アジアの山から西へ旅した果物が、極東の小さな町で生まれた一本の木を通じて、もう一度世界中に広がっていった。

「ふじ」誕生までの年表。青森の苗木から命名までの流れ
藤崎町で育成され、接ぎ木で世界へ広がった「ふじ」。1875年の苗木3本は青森りんご栽培の出発点だが、「ふじ」の直接の親を示すものではない。

ベトナムへ ― 名前を借りた果物

そして、この物語の最後の目的地がベトナムである。

リンゴがベトナムに着いたとき、そこにはすでに「táo」がいた。ベトナム語で「táo ta」——「私たちのtáo」「在来のtáo」といった意味——と呼ばれる果物は、学名を Ziziphus mauritiana という。日本語ではインドナツメと呼ばれ、リンゴとは科も異なる果物だ。ニンズアン地域(旧ニンズアン省、現カインホア省)の特産として、今も市場に山と積まれている。

名前は先に来た者のものである。だから新参者のリンゴは、「táo tây」——「西洋のtáo」——と呼ばれることになった。自分の名前を持てず、先住者の名前に「西洋の」という但し書きを付けてもらう。世界中に自分の名前を貸してきた果物が、ここでは名前を借りる側に回ったのである。

ベトナム語には、リンゴを指すもう一つの呼び名がある。「bôm」だ。これはフランス語で「リンゴ」を意味する pomme に由来するとされる借用語で、辞書では方言・地域語として扱われる。つまりリンゴは、ベトナムで二つの名前を持っているが、そのどちらも既存の言葉との関係から生まれた。一つは先に「táo」と呼ばれていた果物から、もう一つはヨーロッパの言葉から。

ベトナム語でリンゴ・インドナツメを呼び分ける3つの語を示す図
ベトナム語では、二つの果物を「táo」で呼び分ける。bôm はフランス語 pomme に由来する地域的な呼び名である。

そして、もう一つ見当たらないものがある。昔話だ。

スイカ物語で紹介したとおり、ベトナムにはスイカの起源を語る「マイ・アン・ティエムの伝説」がある。無人島に追放された若者が、鳥の運んだ種から果実を育て、自立する力を示して本土へ帰る物語だ。ほかの果物についても、その由来を説明する説話が語られている。

だが、リンゴには見当たらない。ベトナム語で「sự tích quả táo(táoの由来)」を探しても、出てくるのは台所の神「ông Táo」の由来譚か、海外の童話の翻訳ばかりだった。もちろん、見つけられなかったことは存在しないことの証明にはならない。あくまで、今回確認した範囲では、リンゴの起源を語るベトナムの伝統的な昔話にたどり着けなかった、ということである。

ここからは一つの推測にすぎないが——昔話は、その土地で実際に育ち、人が世話をし、実りを待った作物にこそ生まれるのではないか。熱帯・亜熱帯の低地では、一定の低温を必要とする温帯リンゴの安定生産が難しい。北部の高冷地——ラオカイ省サパや、ライチャウ省シンホーなど——には導入や試験栽培の例があり、「ふじ」や「グラニースミス」が良好な成績を示したという報告もある。ただし、広域で大規模な産業として定着したことは確認できず、昔話が見つからない理由を、栽培史だけから説明することはできない。

(なお、先ほど触れた台所の神「ông Táo」の Táo は、漢字では「灶」——かまど——と書き、果物の táo とはまったく別の語源を持つ同音語である。旧暦12月23日に鯉に乗って天へ昇り、玉皇上帝に一年の出来事を報告するとされる、テトに欠かせない神様だ。同じ音でリンゴと結び付いているわけではない。)

ベトナムにリンゴ固有の昔話が見当たらないことを示す図
今回の調査では、ベトナム固有のリンゴ起源譚を確認できなかった。見つけられなかったことは、存在しないことの証明ではない。

では、現代のベトナムでリンゴは何なのか。目立つ役割の一つが、贈り物である。

テトが近づくと、輸入果物を詰めた贈答用のかごが店頭を彩る。ANTVの2024年2月の報道では、テト向け輸入果物ギフトの販売が前年より約1割伸びたという販売業者の声が紹介され、日本産のリンゴ・梨・ミカンも高級品として扱われていた。また、2024年9月のベトナムメディアには、日本の「Sekai Ichi(世界一)」が1個50万ドン超で販売された例もある。これは特定時点・店舗の販売例であり、一般的な相場とは限らない。果物は豊かさと繁栄を願う贈り物として、テトの贈答用かごにも用いられる。

リンゴには日常の果物としての役割に加え、贈答用の輸入果物としての役割もある。日本産リンゴの輸出には、園地・施設の登録、園地管理、袋かけまたは低温処理、輸出検査など、二国間で定められた条件を満たす必要がある。海を渡る一個の実の背後にも、手続きと管理がある。

西洋神話のリンゴから現代ベトナムの贈答文化への変化を示す図
古い西洋の神話から、現代ベトナムの贈答文化へ。リンゴはベトナムで、輸入果物としてテトの贈答用かごにも使われ、繁栄や幸運を願う贈り物の一つとして新しい役割を得ている。

土地ごとに意味を重ねてきたリンゴ

リンゴは、人間に意味を着せられ続けてきた果物の代表格だ。

楽園の堕落を、女神たちの争いを、不死の約束を、リンゴはその小さな実に背負わされてきた。名前は「果物」そのものの代名詞となり、ジャガイモにもパイナップルにも貸し出された。開拓地では酒になり、極東の町では世界へ広がる品種「ふじ」を生んだ。どこへ行っても、リンゴは何かの象徴だった。

その果物について、ベトナム固有の古い起源譚は、少なくとも今回確認した範囲では見つからなかった。

ベトナムでは、リンゴは「táo tây」や「bôm」といった呼び名で流通する。スーパーの棚に並ぶ輸入リンゴは、神話の象徴であると同時に、日々の食卓にのぼる身近な果物でもある。

だが、意味がないわけではない。この国でリンゴは、贈り物になった。テトが近づけば、輸入果物のかごに納まって人から人へ渡っていく。北部の旧正月の五果盛り(mâm ngũ quả)に並び、祖先の祭壇に供えられることもある。バナナやザボンのように「その果物でなければならない理由」が語り継がれているわけではない。それでも、贈られ、供えられるところまでは来ている。

リンゴの意味は、土地ごとに重なってきた。神話の果実、開拓地のリンゴ酒、日本で生まれた「ふじ」、そしてベトナムの食卓と贈答用のかご。一個の実を通して見えるのは、果物そのものの歴史と、それを受け止めてきた人々の暮らしである。

リンゴが世界を巡った5つの土地を結ぶ総括図
意味を重ねながら、リンゴは新しい土地へ旅を続ける。古い意味を失ったのではなく、土地ごとに新しい役割が加わってきた。

現在のリンゴの生態・栄養・世界とベトナムの品種・市場動向については姉妹記事のリンゴ図鑑で、テトのかごに納まる前のリンゴを実際に買って食べる方法についてはリンゴの食べ方で、それぞれ詳しく紹介している。

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参考資料

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この記事を書いた人

ベトナム・ハノイ在住。現地の市場やスーパーで実際に果物を購入し、味・旬・選び方・食べ方を紹介しています。日本ではあまり知られていない南国フルーツの魅力を、現地での体験をもとに分かりやすくお伝えします。

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